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東日本大震災救援ボランティアに参加して
2011.05.24 更新

地本執行委員 山本龍三

 5月10日から18日の間、東日本大震災の連合救援ボランティアにJP労組信越地本としては初めて、連合では第6陣の派遣隊で参加して来ました。
出発式(連合本部前)
■出発式(連合本部前)

信越からの参加者左から、山本・火山・真嶋
■信越からの参加者左から、山本・火山・真嶋
 参加者は信越地本(中信支部)、山本龍三・新潟中越支部、火山健悟・新潟支部、真島和志の三名、私と火山さんは当初4月8日から16日の派遣隊でしたが、前日4月7日の夜、東北地方を襲った余震で仙台のボランティアセンターが被害を受け再度の派遣となりました。
 移動日が行きと帰りで二日間・3勤1休3勤の計9日間の日程でした。
 5月10日午前東京の連合本部へ集合し、一路バスで仙台へ。
 今回はJP労組本部が参加出来ず生保労連の二名の方と五名で班を編成し、夕方仙台ベースキャンプ(以下BC)へ到着しました。
仙台BCで結団式、事務局の方からは「作業にあたっては、自分の価値観で物事を判断せず相手のニーズを見極めて行動していただきたい」との説明がありました。
 住めなくなった家を片づけてもどれほどの役に立っているのだろう、ゴミやガレキにしか見えない物でも家人にとっては大切な思い出の品かもしれない・・
その思いやりを持って作業に当たって欲しいと教えられました。
 翌日から作業に入ります。7時に起床し、貸与された毛布を片付けトイレ・洗顔・身支度を整え食事を取りますお昼を渡され水と弁当をクーラーボックスへ積み込みバスに乗り込みます。
 私たちの救援場所は石巻より南部の亘理町(ワタリチョウ)とゆう沿岸部の地域でした。BCのある仙台市内は震災から二カ月が経過し平常の様子を取り戻しておりましたが、津波の被害を受けた町はとにかくひどい状況です。
作業風景
■作業風景
 様々なガレキ・倒壊した家屋・田んぼには多数のゴミや車・小型船舶まであり、作業の最初三日間は行政がまだ手がつけられない側溝の泥だし作業でした。
 中腰の姿勢でひたすら角スコップを使いドロをあげる、側溝にかぶせてあるコンクリートブロックまでもはずして積み上げます、ある程度放置し水気が無くなったら土嚢につめる、三日間で1632袋も積み上がりました。 腰の疲労はピークでしたが、中日は休みということで洗濯と温泉に行くことが出来ました。他の地本の方々は石巻や松島を見に行かれたようです。
 沿岸部は南北に高速道路が走り、今回その高速道路が防潮堤や防波堤の役割をし、内側と外側では被害の差は大きかったと説明を受けました。
 作業の4・5日間は民家の片付け・泥出しと庭のガレキの撤去です、亘理町は米とイチゴの産地だそうですが、塩に一番弱いのが米とイチゴだそうです。
 季節は春・・・いつもならイチゴの収穫も終わり、田んぼには水が張られ田植えも始まっていたことでしょう。
被災したビニールハウス
■被災したビニールハウス
 しかし今年は、イチゴのビニールハウスは押しつぶされ水田には無数のガレキ・・・復旧には一体何年かかるのか想像もつきません言葉を絶する状況です。
 片付けが終了し、家主の方や家族からの感謝の言葉をいただくと胸に熱いものがこみ上げて来ます、ご主人からは「農業は必ず再開してみせる」との力強い言葉もありました。
 最終日我々五名は生活班とゆう事でBC内の清掃(トイレ・風呂・洗面所など)ゴミ出し・不足品の調達・毛布の片付けを行い一日が終え解団式を迎えました。
 連合宮城会長や市議会議員から感謝やねぎらいの言葉をもらい何年後かに必ず東北の地を訪れて復旧した姿を見てほしいと言われ周りでうなずく大勢の仲間を見て思わず涙が出そうになりました。
 今回の救援ボランティアを通じて「一人ひとりの力は微力だけれど決して無力ではない」、つながれば大きな力となり得る、それが連合運動であり労働組合の原点であると再認識させられました。
 よく「日本人は熱しやすく冷めやすい」と言われますでも今回の復旧支援は長期的そして継続的に取り組まなくてはなりません。
 今回のレポートを読まれた方の多くが救援ボランティアに手をあげていただける事を切に願ってレポート報告と致します。
今回派遣されたJP労組メンバー
■今回派遣されたJP労組メンバー
 
 

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